Kyoto City University of Arts

Advanced Design Studies

PoolRiver

プールリバー


#32

田中義久

Visuality / Materiality

//開催日時:

2023/11/21(火)

16:30-18:00

//開催場所:

京都市立芸術大学

京都府京都市下京区下之町57−1

B棟3F 講義室3(B-306)


同日14:00-16:00に田中義久さんとのワークショップを開催します。

参加希望の方はこちらから申し込みください。

//備考:

学外の方も聴講可能とします

こちらよりお名前、ご所属、メールアドレスを入力してください
ご質問はsunayama(at)kcua.ac.jpまでお願いします

//略歴:

centre Inc.代表取締役社長。永続性の高い文化的価値創造を理念に、デザインを実践している。美術館などの文化施設のVI計画、ブックショップの共同経営、アートフェスティバルのアートディレクションの他、アーティストの作品集や共同制作も行なっている。また飯田竜太(彫刻家)とのアーティストデュオ「Nerhol」としても活動し、国内外で展覧会を開催している。


//以下、ご登壇いただく 田中義久さんに関連するテキストの引用です。
//聴講する学生さんは事前に読んで予習をお願いいたします。

日本の紙ですね。種類の豊富さ、クオリティは類を見ないと思います。海外のデザイナーが日本に来ると、みんな紙買って帰るし、紙に詳しいデザイナーになればなるほど、日本の紙を輸入して向こうで使うことをやってます。

https://www.smo-inc.com/common/pdf/2023/TOKYO2023p35.pdf

私自体は紙を平面として捉えていない、つまり薄い立体みたいな感覚なんですよ。本とかだと立体じゃないですか。平面だけでは考えられない「物のレイヤー」を考えるという風にする

https://www.smo-inc.com/common/pdf/2023/TOKYO2023p35.pdf

現代の多くのメディアのことを考えると、立体として最終的に定着させる機会というのが、どんどん減ってきているのかもしれませんね。例えば、世界中の芸術祭で出される作品のうち、映像の比率はどれだけ多くなっているのかという話にもつながるかもしれません。そもそも、作品が立体である必要性とはなにか、平面である必要性とはなにかを問うことになると思います。例えば、情報を早く伝えるという意味では、立体は映像には全然かなわないし、それはもう受け止めるべきだと思います。その前提のもとで立体をつくるからには、ウェブに象徴される流動的な状態では成立し得ないものを創造しない限り、立体としての価値を見出すことは難しくなるのではないでしょうか。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21529

ここ20年くらいのインターネットの発達によって紙媒体の立ち位置が大きく変わってきている部分は少なからずあると思います。僕はその変化によって紙媒体がなくなることはまずありえないと思っているし、どちらかと言うと、情報を伝達するためのツールとアーカイブするためのものといった、役割の差別化がよりはっきりしてきたというイメージがあって、後世に残しておくべきものはちゃんと紙媒体にして残していくという考え方

http://dotplace.jp/archives/20590

その土地の紙って、その土地の文化紹介と相性がいいんです。最新号は伊豆半島の三島がテーマなんですが、富士山からもたらされる豊かな水と、その水でつくられる素晴らしい紙があって、それがそのまま本になっています。

https://www.takeo.co.jp/reading/dialogue/20.html

デザインと現代美術の歴史は違うので、考え方も全く違ったりはするんですけど、自分の中でそれを繫げ、私生活の他の部分とも繋げ、それが「紙」というところに繋がっていくので、紙の在り方を、上手い形でアップデートできないかなとは思ってます。

https://www.smo-inc.com/common/pdf/2023/TOKYO2023p35.pdf

動画をはじめとする歴史的なアーカイヴは、自分たちの年齢以上に昔に行われたことを定着させた記録です。僕らの制作においては、それら過去の動画を、単純に過去の時間軸の記録として見せるというよりは、どう現代と接続していくか、というところに意味があるかなと思いますし。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21529

問題を的確に見つけ出し、解決していくことがデザインだという考え方があります。それは、たしかにいま起こっていることに関しては効き目があるかもしれないけれど、その「処方」を続けていると、数十年という長い時間のなかでは、視覚的コントロールの体系化や枠組みの呪縛という問題が生まれる。そして、その後には体制化されたデザインに対する反体制のデザインが誕生する。デザインの歴史はそれを繰り返してきたけれど、その往復運動に回収されないようなデザインがありえないか、と考えています。

https://www.cinra.net/article/interview-201901-oharatanaka


//ビデオ・アーカイブです。
//@kcua.ac.jpのアカウントのみで視聴可能です。

〜〜準備中〜〜


//聴講生によるコメントのアーカイブです。

〜〜準備中〜〜