Kyoto City University of Arts

Advanced Design Studies

PoolRiver

プールリバー


#2

gnck

画像の質感、線の質

//開催日時:

2018/5/10(木)

13:00-14:30

//開催場所:

中央棟3階 L1講義室

//備考:

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//略歴:

gnck
キャラ・画像・インターネット研究。「画像の演算性の美学」を軸に、webイラストから現代美術まで研究する。
美術手帖第15回芸術評論募集第一席 武蔵野美術大学芸術文化学科卒 都立工芸高校デザイン科卒


//以下、ご登壇いただく gnckさんに関連するテキストの引用です。
//聴講する学生さんは事前に読んで予習をお願いいたします。

都築の作品が、ベクター(線=形相)から出発しながらも、画面を埋め尽くすビットマップを作り出してしまったように、実際には色彩と線の対立は、人間の認識のモードの違いであり、実際の作品上では、それぞれの要素を同時に含みこむことができる。よい線とは、実は色(階調)としての複雑性を持っているが、にもかかわらず線と認識される線であるように。あるいは、絵の具でありながら、像として見える、認識できる。線でありながら、像であり、生きている、ということがありえるのであり、最良の絵画は、それらを含みこんでいるのではないだろうか。(gnck)
「創造の欲望をめぐって ―キャラ・画像・インターネット― 」2011
彼は武蔵野美術大学の芸術文化学科の卒業生で,卒業論文で「創造の欲望をめぐって—キャラ・画像・インターネット—」という文章を書かれていまして,実はこの論文がかなり重要なんですね.内容的にはJNTさんと梅沢和木さんという,2人の絵師さんの作品論を中心にしながら,その背景にあるお絵描き掲示板の問題に迫ったり,pixivや「カオス*ラウンジ」の問題,あるいはそれらの登場以前からあった,お絵描き掲示板や普通のイラストサイトでの問題点やコミュニティについて記されていて,なおかつ,そこで生み出されている作品の受容のされ方や作品論にまで迫ったものになっています.「カオス*ラウンジ」の問題がこれだけ巷で騒がれている中において,具体的な作品論にまで言及する人はあまりいなかったわけで,そういう意味でも重要な論述ではないかと思います.(谷口)
あはははは.いや,すごくいいんですよ! 何でかというと,ジャギってるし,鉛筆ツールで描いているから,筆跡がきれいに残っていて,色の重ね方,絵の作り方の「単位」が見える.さらに言えば,オブジェ的というか,ヴィネット(Vignette)的なんですよね.ヴィネットって必要最小限の単位で風景を作りあげるじゃないですか.そういうふうに,透過していることによって,必要最小限の描画で,モノとして,ヴィネットとしての画像がある,みたいな感じがするんですよ.(gnck)
アートと普通のカルチャーで何が違うのかというと,それって単に「歴史として,きちんと整備されているか/いないか」だけ,「歴史的な視座を持っているか/いないか」という違いだけではないかと感じて,「じゃあどういうことが必要なのか」というと,やはりこうしたカルチャーのアーカイヴ化が重要なのではないか.(・・・)文化をきちんとアーカイヴにしていくこと,文化を歴史として言葉にしていくことが(当人たちの意識はどうあれ)必要な気がします. (gnck)
ICCで行われた座談会「お絵かき掲示板のインターネット・リアリティ」2012/02/26
ここまでの議論は、低解像度、高圧縮率、データの破損と、メディアとして高級なものでなく、むしろ貧しいものばかり扱ってきた。なぜならば、まさに貧しい状況でこそ、そのメディアの原理的な特性が明らかに示されるからだ。(gnck)
ドローイングやキャラが美しいのは、描線であることが明らかなのにもかかわらず、それが像として現前しているからである。ドット絵が美しいのは、それがピクセルであることが明らかなのにもかかわらず、それが像として現前しているからだ。最小限の手数で、しかも十全に成立しているものは、奇跡なのだ。愚鈍の成果として逐次性を積み重ねまくった結果、リッチな画像が得られたところで、そこに個人や天才はいない。gnck)
『美術手帖』通巻1000 号記念第15 回芸術評論募集第一席「画像の問題系 演算性の美学」2014
芸術には目の芸術と、概念の芸術があり、目の芸術における「革新」そのものを抽象化し、それ自体を目的として概念の芸術が立ち上がってきた。しかしその概念の芸術における批評性は、視点を変えれば「頓智」とか「ナンセンス」として呼び習わされてきたものだ。それを「(概念の)芸術である」と思わせるためには、(目の、あるいは先行する)芸術の形式を再演しつつ、それとのズレを見せつける必要がある。(gnck)
「新・方法」第54号への寄稿「となりのトートロジー、遍在を再演する場」2017
親戚が集まる宴会場、結婚の記念写真、親しい友人同士やカップルたち。被写体が向ける笑顔は、撮影者との親密な距離感を示し、いずれの写真からもその情感的なつながりが伝わってくる。その情感的な距離感は、SNS以降の、第三者からの眼差しが織り込み済みの距離とは異なるものである。(gnck)
『gnck評「心霊写真/ニュージャージー」展, イメージの心霊』2017

//ビデオ・アーカイブです。
//@kcua.ac.jpのアカウントのみで視聴可能です。

〜〜準備中〜〜


//聴講生によるコメントのアーカイブです。

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